齋藤巳乗先生のこと

齋藤巳乗先生に聞く
インタビュー 菅先生に聞く

――まず最初におうかがいしたいのは、日本にアメリカからオステオパシーというものが入って来た時のおおまかな経緯と、その中で齋藤先生がどういう位置におられたのかということなのですが。

 確か最初は、大正の頃に山田信一という方が、『山田式整体術講義録』という本を書いています。その中でオステオパシーについて触れられていて、その辺りが発端じゃないかと思います。
 それからしばらく後に、古賀正秀先生という方がおられて、この先生が齋藤先生の師匠だった人です。この古賀先生は、直接法の達人だったようです。齋藤先生は、途中から古賀先生のところを辞めて、ご自分が指導的な立場になられた。その中で、齋藤先生も初めは直接法だったようですが、そのうちデニス・ブルックス先生の頭蓋オステオパシーの本などを読まれて、その頭蓋の操作を身体全体に応用できないかということで、考案されたのが誇張法です。当時は今みたいにシンプルではなくて、検査も複数あって、けっこう大変だったようです。それがだいたい昭和四十年代のことですね。

――今ネットのウィキペディアで「オステオパシー」を見ると、齋藤先生のお名前は、誇張法の項目のところだけに出ていますね。

 ああ、そうなんですか。私が勉強し始めた頃は、もちろんオステオパシーには直接法もあったんですが、齋藤先生の誇張法、イコールオステオパシーというような時代でした。今はどうかわかりませんが、当時はオステオパシーを名乗っていて、齋藤先生のお名前を知らないとモグリだなんて言われてました。そのぐらい有名な先生でした。

――齋藤先生は、日本で独自に誇張法というものを開発されたとお聞きしています。

 そうですね。もちろん、アメリカにも間接法というものがあるんですけれども、当時まだそれはきちんとした形では、日本に入って来ていませんでした。今みたいに多くの本が簡単に手に入ったり、インターネットの情報などもありませんから、そんな中でよくこんなすごいものができたなあと感心してしまいます。

――では、これから齋藤先生個人のことについてもうかがっていきたいと思います。略歴によると、大正の末に生まれて、昭和三十年には福島で療術師協会の事務局長をされていますね。ずいぶんお若い頃から、もう既に実力のある治療家として認められていたんですね。

 治療家としてのキャリアのスタートは、最初は指圧をされていたんじゃないかな。その時でも、やはり普通じゃちょっと考えられないような結果を出されていたようです。
 齋藤先生は指圧をやっている時に、身体の一部で何か動きのようなものを感じることがあったそうで、それがいったい何なのかを知りたくて、オステオパシーを勉強することになったと聞いています。

――その頃は日本では、どのようにオステオパシーが学ばれていたんでしょうか?

 アメリカから先生がやって来て、いろいろと教えてくれるようになったのは、だいぶ経ってからのことです。

――そんな状況の中で、誇張法がどんなふうに発展していったかなんですが、誇張法ってアメリカ生まれのオステオパシーの流れではあるんですが、でもその基本の考え方の中に、とても東洋的な哲学や身体観などが含まれているように思います。誇張法は、齋藤先生独自の考え方などを、オリジナルのオステオパシーに加えていって、徐々に新しいものになったのでしょうか?

 おそらくそうだと思います。東洋医学の考え方といったものも、かなり入っていると思います。

――齋藤先生は、能をやられていたと以前聞いたことがあるのですが。

 そうですね。齋藤先生は、能でも他の踊りでも何でもそうなのですが、上手い人のやっているのをじっと見ていると、その本質がぱっと直感的にわかってしまう方だったようです。奥様も一緒に能や踊りなんかをされていて、齋藤先生が身体の動かし方だとか、心の保ち方だとか、何かちょっとでもアドバイスを加えると、それがものすごく的確だったと聞いたことがあります。
 それから、誇張法を極めたかったら座禅をやるといいともおっしゃっていました。また違う先生には、茶道を薦めていらっしゃったこともあります。能も禅もお茶も、どれも古い東洋の精神を受け継ぐものですね。

――東洋の精神というと、具体的にはどんなことでしょうか?

 齋藤先生は常に、中道というか中立の方でした。感情的になることはありませんでした。本当に何があっても決してぶれないというか。あれは近くで見ていてすごかったですね。

――そういうお話をうかがっていると、齋藤先生という方は、いい意味で宗教的と言えるかもしれませんね。何があっても平常心を失わない禅のお坊さんみたいです。そんな雰囲気を感じます。

 言うまでもなく、齋藤先生は宗教家ではないですが、本職の方以上に宗教のエッセンスをつかまえていらっしゃったように思います。ある人を、私が齋藤先生のところにお連れしたことがあったのですが、齋藤先生を見て、「この方はその辺にいる宗教家なんかよりも、もっと本物の宗教家だ」というような感想を話されていました。

――齋藤先生が、一番大きく影響を受けた思想とか哲学とか宗教は何だったんでしょう?

 それは古くからある禅とかじゃないかな。あるいは能の思想とか。当時流行していた新興宗教や精神世界の影響などはなかったように思います。
 ただ一回だけ私ともう一人が、齋藤先生を担ぎ出して、「一緒に瞑想をやりませんか?」とお誘いしたことがありました。その瞑想をやり初めてから後に、先生が治療するときに、「背筋を伸ばして意識を丹田にすーっと落として、それでかけるといいんだよ」なんておっしゃってましたね。とにかく東洋的な精神を、しっかりと自分のものにされていました。

――齋藤先生は亡くなる少し前まで、ずっと技術に磨きをかけて誇張法を進化させていたとお聞きしています。

 はい。どんどん新しい技術が開発され、一つ一つの技も、時間が経つにつれてより洗練された形になっていきました。

――誇張法には、どのくらいの歴史があるんでしょうか?

 齋藤先生は晩年、自分の誇張法が今の形、今の感覚になったのが約十年前だとおっしゃっていました。その前にすでに三十年くらいの歴史がありますから、合わせるとだいたい四十年くらいになるでしょうか。

――誇張法という名前も、齋藤先生が付けられたのですか?

 そうですね。要するに動きのない部分を誇張するということだから。ただ、名前自体は元からあったのかもしれません。
 アメリカでは間接法と言いますね。その名前で定着している。アメリカの間接法というのは、オステオパシーの数ある手技の中の一つです。でも齋藤先生の誇張法というのは、誇張する、つまり間接的な動かし方がメインなんですけれども、その中には他にも直接的なアプローチ、非生理的な動き、そういったものが全部入っています。

――齋藤先生は、指導者としてはどんなタイプだったのですか?

 齋藤先生の教え方を一言で言ってしまえば、「技は盗め」ということでしたね。あまり細かい説明はして下さらない方でした。質問をして、返ってくる答えがちょっとピントが合ってなかったりね。でも、それをもう一度聞き返せない雰囲気がありました。オーラというかな。

――お写真などを拝見すると、とても柔和な表情をされていますね。

 お人柄は一見柔らかいですが、でも中身はすごく厳しい方ですよ。

――私の勝手なイメージですが、古き良き日本人といった雰囲気を感じます。

 齋藤先生は、お弟子さんという形では絶対に人を取りませんでした。ごく近しい人に教えても、あまり思ったようにはいかなかった経験があったからではないでしょうか。人が施術をしているのを横で見ていて、ちょっとでも気に入らないと全部自分でやり直しちゃうんですね。そんなことされたら、その人は面白くないわけです。そういう性格なので、弟子は取らなかったんだと思います。だた、教えを乞いにいけばいくらでも教えて下さいました。

――齋藤先生の人生観や生死観は、どのようなものでしたか?

 齋藤先生の人生観を一言で言ってしまえば、それは禅でいう「無」です。人は亡くなったら最後は無になると考えておられたようです。
 これは奥様からお聞きしたのですが、人が亡くなると最初の内はいろいろ覚えていて、周りのことも分かっているけど、それがだんだん消えていって、最後には無になる。そういうふうに考えておられたようです。それから、病気に対してや、その他のことについてもそうですが、感情的になるということがない方でした。自分のできることを精一杯やって、それでしっかりと結果を出す。そういう生き方をされていました。
 齋藤先生は、病気が改善の方向にいかないものははっきりとそうおっしゃっていました。「現状維持が精一杯ですよ」とかね。多分、良くなるとかならないとか、直感的に分かったんじゃないかな。だからもし病院で絶対に駄目だと言われても、自分の直感で大丈夫だと思えば「ゴー!」だし。

――普通の人には分からないことが分かってしまう方だったんですね。そういった能力は先天的なものだったのでしょうか? それとも訓練して身についたものなのでしょうか?

 もしも先天的なものがあるとしたら、それは自分が分かるまで我慢できるかどうか、それだけだと思いますよ。
 齋藤先生の技術って、齋藤先生にしかできないなんてよく言っている人がいますが、結果だけ見て、その中身を見ている人はほとんどいないんじゃないかと思います。齋藤先生がどのくらい日頃から訓練して、何をずっとやって来たか……。例えば、自分の指を藻草でわざと火傷させて、触ると痛いくらいの状態にして、それで弱い力の圧を加えるように練習したとおっしゃっていました。

――すごいですね。その、施術の時になるべく弱い力を使うというのは、もともとのオステオパシーにもあるんですか?

 頭蓋骨のオペレーションがそうですね。それを全身に応用したものが、齋藤先生の誇張法です。

――齋藤先生の日常生活でのエピソードなどがありましたら、教えて下さい。

 とにかくお酒がお好きでしたね。「飲めないくらいなら死んだ方がましだ!」なんておっしゃっていました(笑)。

――お飲みになるのは、日本酒ですか?

 お酒なら何でもです。最初に、まずお昼でも注文するのはビールですからね。仙台のセミナーに初めていった時に、お昼をご一緒したら、もういきなりビールを飲んでいらしたのにはびっくりしました。先生は、飲んでも飲んでもちっとも変わらない。底なしです。絶対に崩れなかった。
 そもそも古賀先生の所にいって、お酒が強くなったようです。その当時は、飲めないやつは弟子じゃないっていう世界ですよ。飲んで崩れるのも弟子じゃない(笑)。かなり厳しかったようです。

――今ならほとんどの人が失格ですね。食べ物は、何がお好きでしたか。

 麺がお好きでした。お昼はだいたいラーメンです。

――治療を受けに来られたお客様に、お茶を必ず薦めてらしたとお聞きしたことがあります。

 茶道をやってらっしゃいましたからね。お茶はかなりこだわっていました。郡山の時は、ここのお水にはこのお茶の銘柄がいいとか。

――菅先生は、初めどのような形で齋藤先生とお会いになったのですか?

 私は見習いで入った治療室で、この誇張法に出会って、それから齋藤先生のセミナーに出るようになりました。
 当時私は、事故で足首を酷く骨折してまして、正座も出来なかったし、走ることも出来ないような状態でした。齋藤先生のセミナーの時に、ちょうど足首の施術のデモンストレーションで先生にやってもらって、その場ですぐに正座が出来るようになりました。「へえ、すごいなあ!」と思って、それからですよね。仙台と東京のセミナー、両方に通うようになりました。東京でのPACのセミナーで、月一回くらい教えておられました。

――齋藤先生の治療の特徴って、何でしょうか?

 施術の時間は、後になるほどどんどん短縮されていました。治療を受けた感じは、受け手一人ひとりが違うと思いますが、私の場合は確かに軽くはなるんだけど、翌日頭が痛くなったり、そういうこともありました。ただ時間が経つとちゃんと抜けていって、もっと良い状態になりますけれどもね。
 あとは治療の翌日に肩が凝っているような感じがするのですが、触ると柔らかいんですよ。多分身体に悪さをしている部分の本質が分かってらっしゃったんだと思います。
 自分の中で、わりと最近調子がいいから、齋藤先生に治療してもらいにいっても何も言われないだろうと思っても、「先生どうですか?」って聞くと、「いやあ、頭だよ」って言われて。「頭が悪い」って。つまり、自律神経ね。でも一方でめまいが酷くて「やばいなあ」って感じでいっても、「そんなに悪くないですよ」なんて言われたり。
 症状が酷く出ていても、ちょっとしたバランスの崩し方でもそういうふうにもなるし、症状が少ししか出ていなくても、悪いなりにバランスをとっているという場合も考えられます。これは実は、あまり良くない状態です。

――齋藤先生の治療を受けた人の感想で、すごく軽いタッチだったということを聞いたことがあるんですが、昔からずっとそんな感じだったのですか?

 私が最初にお会いした頃には、まだ今の状態にはなられていなかったと思います。今の感覚が出来上がったのは、十年位前からだとおっしゃっていましたから。
 触れられている感じや圧なんかも、その時々によってだいぶ違いました。今日はえらく軽いなあっていう時もあったし、反対に今日はなんでこんなにコンタクトが重たい感じなんだろうということもありました。おそらく、相手の方の身体の状態に臨機応変に合わせて変えておられたんだと思います。まあ、あのレベルになってしまうと、もう何をやっても緩んでしまうんでしょうけれどもねえ(笑)。

――そんなにすごい結果を出しているのに、さらに先を目指そうという姿勢というか、モチベーションはいったい何だったのでしょうか?

 だんだん施術時間も短くなっていきましたし、技も簡素化していく。でも簡単なんだけれども難しい。よく先生は簡単なことを難しそうにやる人たちはたくさんいる。難しいことを難しそうにする人もいる。でも、すごく難しいことを、簡単に見えるようにやるのが一流の人だと言っていました。それが本物だと。
 だから、常に本物を目指しておられたんだと思います。

――誇張法でよく言われている、五グラムの圧で動かすというのはどこから来たんでしょうか?

 オステオパシーの頭蓋の圧が、五グラム以下ということで、そこから来たんだと思います。
 ただ齋藤先生がご自分でやっていて、辿り着かれた独自の部分というのは、やはりイメージと意識の使い方だと思います。これが誇張法の要の部分です。でもね、エネルギーや意識ということも、もし分かる人がいればお話されたけれども、そうでない時には一切口にされなかった。
 「意識とかイメージとかエネルギーって、どうやって人に説明したらいいんでしょうか?」と、齋藤先生にお聞きしたことがあるんですが、「いや、見せればいいじゃないか」と言われました。「指の痛いところを、ほら、こうやってこうやって……。ほら、もう痛くないでしょ?」って。でも、こっちは見せても分かってもらえないから困ってるのに……。まあ、それは先生に言えませんでしたけれどもねえ(笑)。

――そこはなかなか、ジレンマのあるところですよね。

 齋藤先生の誇張法は、おそらく理屈で考えちゃうと、もうそこで引っかかって先に進めなくなってしまうと思います。やっぱり感覚の世界なんですよね、誇張法って。感覚の世界のものを理屈攻めにして、ああだこうだとやっていると結局どこかで躓いてしまいます。

――齋藤先生は、常日頃からその感覚を訓練して、さらに高める努力をされていたわけですよね。

 はい、人が見ていないところで、相当訓練されていたと思います。

――菅先生ご自身は、誇張法をどのように捉えているのですか?

 ある治療家の方がしばらく前に、この人は誇張法が好きでいろいろな先生のところを回られていたんですが、私のところへ来て、「感覚的に誇張法を捉えているのは、菅先生だけだ」というようなことをおっしゃっていました。私は、あんまり理屈が好きじゃないから。感覚で捉える方が楽なんです。

――それでも、ご自分では出来るとしても、それを他の人に伝えるときは、やっぱり言葉や理屈も必要ですよね。

 そうですね。でも、目の前で実際にやって見せれば、ああこんなこともできるんだと納得するじゃないですか。それで受け取ってもらうのが一番だと思います。

――菅先生が齋藤先生のセミナーに参加されたり、実際に患者さんを施術をされているところを見学している時は、どのようにご覧になっていたのですか? 齋藤先生は「技を盗め」とおっしゃっていたそうですが、その盗み方というか……。

 その時は、何も考えていないです。何も考えないで、今の自分に本当に必要な情報が、自分が意識していないところで、どんどん入っていくっていう感じかな。だから、これを盗もうとか、こういう課題で見せてもらおうとか、そういうことではないんです。
 漠然と見ていて、自然に何か感じて、頭を通さずに吸収する。それがずっと後になってから、「分かった! できる!」というふうになるんですね。そうやって吸収したたくさんの情報がどんどん積み重なって、多分どこかにちゃんとストックされているんだと思います。それがある一定量を超えて、なおかつそのことに対して自分が理解できるレベルに達したとき、その引き出しからいろんな物がどんどん出てきて、自分自身でも使えるようになるようです。私の経験から、そんなふうに言えます。

――誇張法に限らず、他の治療法や、あるいは武道とか茶道とか能とか、師匠がいて弟子がいて、その間でいろいろな技が受け継がれていくのは、だいたいいつもそういう仕組みで伝わっていくのかもしれませんね。

 でもね、大事なのは、そういう時でも師匠に執着してしまっては駄目なんです。だって、そうなると師匠のコピーになってしまいますから。コピーじゃ駄目なんです。
 誇張法というものを齋藤先生から教わって、齋藤先生の技術を見て、だんだん自分のものにしていって、齋藤先生と全く同じことをしようとすると、齋藤先生の単なるコピーになってしまう。齋藤先生と私は違う人間だし、齋藤先生と皆さんも違うし。ものの考え方、性格、それから体格。それぞれ全部違いますよね。それなのに、無理にそのままコピーしようと頑張ると、だんだん苦しくなってしまいます。それは当てはまらないんです。ですから、自分に合ったやり方を、それぞれが工夫して見つけていかなくてはいけません。

――うーん、それはちょっと難解ですね。やはり師匠は尊敬すべき対象でしょう? 自分にない技術もあるし、経験だって自分の何十倍、何百倍もあるわけですから。だけど単純に師匠のコピーになってはいけない……。もう少し説明していただけますか?

 もちろん、尊敬しないとかそういうことではありませんよ。齋藤先生は、私にとって大恩人で、唯一尊敬できる治療の先生ですからね。
 齋藤先生はおそらく、自分のところで誇張法を勉強した人全員にしっかりと使いこなせるようになって欲しかったんだと思います。ところが、コピーだとそうはならないんです、間違いなく。だから「盗め」と言ってるんですよ。
 ただのコピーだったら、手取り足取り真似させて教えれば済むわけですから。でもそれじゃ上手くいかない。最終的には、自分自身に本当に合ったやり方を見つける必要があります。例えば指をこういうふうに背骨に置いて動かすこと一つにしたって、意識のかけ方が齋藤先生とその他の人とでは全然違うんです。でも意識のかけ方なんて、説明してもらって耳で聞いても、分かりませんよね。だから同じになりようがないんです。
 それを何が何でも齋藤先生と同じにしようと思っちゃうと、もうそれは執着になってしまう。そうすると、多分出来るものも出来なくなってしまいます。エッセンスをしっかりと吸収して、そのエッセンスを使って、誇張法を勉強する皆さんたち自身が、自分なりに工夫した誇張法を作っていっていいんだと思います。

――なるほど。よく分かりました。話は変わるのですが、齋藤先生の最晩年のことをお話しいただけますか?

 数年前に体調を崩され倒れられて、その後程なくしてあの地震と津波がありました。齋藤先生は福島のいわきにおられましたから、ものすごく大きな影響を受けました。それがなかったら、きっと生還してたんじゃないかな。地震の前は、けっこういい状態でしたからね。まだ話も出来たし。それを思うと大変残念です。寿命と言ってしまえば、それまでなのかもしれませんが……。
 入院中の先生を施術させて頂きながら、色々な事を教わりました。言葉を交わして教わった訳ではありません。亡くなる前数ヶ月は、お話し出来る状態ではなかったですから。言葉ではなく、伝わってくるんですよ。良い勉強をさせて頂きました。

――返す返す震災のことは残念ですね。ただそれでも、齋藤先生は八十代まで現役で仕事をなさっていたわけで、これは後に続く者にとっては、とても励みになることです。有名な治療家の中には、けっこう早く亡くなってしまう方もいらっしゃいますし。

 誇張法のいいところは、年を取ってもちゃんとできることです。また、きりがないからね。どんどん進化させていける。誇張法ができれば、これは一生の財産になります。
 「治せないものがあってはなりませんよ!」。これは齋藤先生から直接頂いた宝物の言葉です。そうなれるように、これから私も精進していきます。

――今日はお忙しいところ、大変貴重なお話をうかがうことができました。どうもありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございました。

2013/1/19 (聞き手 桑原有毅)